依存と円環~『エルヴィス』感想(ネタバレあり)

 

 『エルヴィス』を観てきた。主人公であるエルヴィス・プレスリーについて、本当に有名な数曲以外はその人生も含めてほとんど知らなかったんだけど、ものすごくおもしろかった。

 

 まず初っ端からバズ・ラーマンらしい外連味たっぷりで「リアルさ」に全くこだわらない演出に引き込まれた。あまりにもノリが良くて見ごたえたっぷりのライブシーンのみならず、何かが起こるときは「何かが起こるよ!」と言わんばかりにこちらの視線を誘導してくる演出がたまらない。カメラはグルグルと回転しながらあり得ない動き方をし、全てのタイミングが一致して全ての眼差しが交差した瞬間、そのシーンで伝えたいことが起こる。過剰さを全く恐れてないというか、伝えたいことを伝えるための手法として使いこなしている。

 

 とにかくライブシーンがカッコよくて、観客のリアクションを執拗に映すことからもわかるように、大衆文化・アイドル文化の力強さを肯定的というかなんなら祝祭的に描いている一方、その良くない側面も描きこんでいる。それが何かと言えば、とりあえず「依存」という言葉にまとめられると思う。さらに、「依存」というテーマが映像として繰り返される「円環」というモチーフと重ねられて描かれているので、詳しく書いてみる。

 まず一つ目はスロットである。長年エルヴィスのマネージャーを務めたトム・パーカー大佐(トム・ハンクス)は映画を観ればわかるようにいろいろな問題を抱えた人らしいが、そのひとつがギャンブル依存症である。オープニングだけ見ると、ただの金にガメツイ悪徳マネージャーなんだけど、物語が進むとそれだけではない、彼のアイデンティティに関わるような動機が見えて来るのもうまい。ギャンブル依存症という今では病だと広く認識されてるものから始めて、もう少し曖昧で病的な何かへと踏み込んでいく。その過程で、様々な種類の病理が人生を狂わし追い詰めていくさまを描く。

 二つ目は観覧車。カントリー歌手ハンク・スノウとツアーを周りながら人気を集めていたエルヴィスは、遊園地の観覧車に乗っている最中、大佐から専属契約及びレコード会社移籍の話を持ち掛けられる。これはエルヴィスが大スターになるためのチャンスをつかみ取ったシーンでもあるが、これから一生続く大佐との関係性を結ぶシーンでもある。今「つかみ取った」と書いたが、そこにエルヴィスの意志がどこまであったのかは疑問である。彼がすでに大佐とのつきあいを始めてしまっていた時点で、エルヴィスに大佐の申し出を断るなどできなかったのではないか。もはや観覧車は動き始めているのだから、降りるという選択肢はなくそのまま乗り続けるしかない。そういう意味でこのシーンは大佐による脅しにも見えるし、ここからエルヴィスと大佐の共依存関係はスタートするものの、決して対等な関係ではなかっただろうとわかる。エルヴィスの母の死を機に、大佐がより深くプレスリー家へと入り込むシーンからも、彼の支配的な傾向が見てとれる。だからこそ我々は、クリスマス特番で大佐を押し切ってプロテストソングを歌い上げる瞬間に興奮を覚えるし、ラスベガスで大佐と訣別しきれずに関係を続けてしまう展開に落胆するのだ。アルコール依存症の人間が主人公の映画において、酒を飲むか飲まないかでハラハラするのと同じ仕組みだと思う。

 最後はレコード。これはエルヴィスとファンの依存関係を表していると思った。こちらの方が大佐とのそれよりも健康的になりうる余地があると思うが、それでも彼が終盤にする「足のない鳥」の話は象徴的だし、自分もいちアイドルファンとして身につまされた。観客の声援は彼に力を与えもしただろうが、確実に何かを奪ってもいたのだろう。母親が初めてのツアーへ旅立とうとする息子に不安を吐露したのは、エルヴィス・プレスリーという人間がエルヴィス・プレスリーという偶像(アイドル)へと不可逆的に変わっていくことを予感していたからなのだと思う。そして、偶像としてのエルヴィスが近しい人間との関係を壊してしまう展開は、プリシラとのそれで繰り返される(ここでも円環…)

 このように「依存」という点からこの映画を見ていくと、そこらへんの描写のキモ担っているのはトム・パーカー大佐だとわかる。しかも通り一遍の悪役というよりは、概念的な悪魔としての存在感もあれば(観覧車のシーンは悪魔の契約の趣がある)、人々の欲望の代弁者という気もするし、エルヴィスを多かれ少なかれ消費するファンの代表でもある気がする。そんな男を語り手に据えることで物語に分厚い批評性を持たせていると思うし、さらにこの物語を消費し解釈しようとする我々の牽制にもなっている気がするのである。

 

 エルヴィスの音楽的なルーツや政治的な考えについて言及しているのがエルヴィス・プレスリーのことを全く知らない身としてはおもしろかった。Hound Dogなんかが彼の作った曲ではないことはかろうじて知っていたけど、それどころじゃないくらいの多大な影響を受けているとが描かれていた。もちろんそこには文化の盗用的な側面もあるのだけど、B.B.キング(ケルヴィン・ハリソンJr.)からの言葉など、映画として問題自体は射程に入れつつ掘り下げはしないことで、そこら辺をエルヴィス個人の責任とはしてないっぽい。

 キング牧師ロバート・ケネディ暗殺をめぐるエルヴィスなりのアンサーも全く知らなかった。曲自体は知っていたものの、これらを知ってからだと「夢」という言葉なんかの響き方も変わってくるなと。