日向坂46におけるクィア表象

 先日、嵐の楽曲におけるクィアネスについてフォロイーさんがツイートしてるのを見た。嵐の楽曲には全体として異性愛の色が濃いらしいものの、その中でもクィアに読み解ける曲を挙げて解説されており、嵐のライブにも行ったことがあって曲もある程度聞いていた身としてとても面白かった。

 自分は現在日向坂46が好きで、クィア・リーディングにも興味があったけど、そのツイートを見てすぐには日向坂のクィアな曲が思いつかなかった。でも探せばいくつかあるはずだと思い、いろんな曲を聴き返してたらエンジンがかかってきて、曲だけじゃ飽き足らずライブでのパフォーマンスや映像作品、バラエティでの企画などで日向坂46が表現するクィアネスをいくつか見つけることができた。

 ちょくちょくTwitterでつぶやいてもいたのだが、いっそのことこのエントリにまとめてみる。ただまとめると言ってもただ気づいたものを並べるだけで全体への有効な総括などはないので、こんなのがあるんだと見ていただけたら幸いです。

 また、あくまで個人的な解釈かつクィア・リーディングにおける勘の鈍さは相当だと自分で思っているので、なぜこれが入ってないんだとかそんな読みは成り立たないとか、もしあればお手数ですが指摘してもらえると嬉しいです。

 

 

 

『君に話しておきたいこと』

 


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 最初に言い忘れたが、このエントリには日向坂46が2019年3月に現在の名前に改名する前の「けやき坂46ひらがなけやき)」時代のものも含む。そしてこの『君に話しておきたいこと』は、すでに日向坂46への改名が発表されてから欅坂46漢字欅)8thシングルのカップリングとして発表された、けやき坂46として最後の曲である。

 この曲の歌詞は以下の通りである

 

今 僕が何よりも守りたい
愛は君がくれたものだ

君に言いたいことがある
聞いてくれるかい?
どうしてもどうしても 君にだけは
話しておきたいんだ
何を突然言い出すの?
キョトンとしながら
ただじっと ただじっと 僕を見つめて
言葉を待っている

風が木々を揺らして
日差しが焦(じ)れったそうに
黙っていちゃ
ダメだよと急かす

君と出会えた意味を考えてみた
僕たちはなぜ巡り合ったのだろう?
偶然か必然かわからぬまま
ある日 そう恋に落ちたんだ
それがどういう意味を持ってるのか?
どんな未来に繋がって行くのか?
今 僕が何よりも守りたい
愛は君がくれたものだ

僕の説明の仕方が
もっと上手なら
君だって君だって納得して
頷いてくれただろう
急に思いもよらないこと
言い出したようで
どうしたの? どうしたの?何かあったの?と
理由(わけ)を聞きたがった

やがて夕陽が沈み
人生はあっという間だと
空の針が
教えてくれるよ

僕が話した意味を考えてみた
人間の感情はあやふやだけど
この瞬間 抱(いだ)いてる愛しさは
そうさ 間違いなく本物だ
だからこの高鳴りを伝えたくて
ちゃんと自分の言葉に従った
そう 僕のこの胸に溢れてる
愛は君がくれたものだ

君と出会えた意味を考えてみた
僕たちはなぜ巡り合ったのだろう?
偶然か必然かわからぬまま
ある日 そう恋に落ちたんだ
それがどういう意味を持ってるのか?
どんな未来に繋がって行くのか?
今 僕が何よりも守りたい
愛は君がくれたものだ

 

 この歌詞の中では、「僕」が勇気を出して好意を持つ相手に告白したようすと、その空間に漂う相手の戸惑い、語り手の自分の気持ちに対する確信が描かれている。

 ただ、相手の性別は特に限定されておらず、この告白をセクシュアリティのカミングアウトを伴うものとして読むことも可能だろう。「僕の説明の仕方が/もっと上手なら/君だって君だって納得して/頷いてくれただろう」といった部分からは、クィアネスを相手に伝えることの難しさが読み取れないだろうか。

 

 

『ドレミソラシド』

 


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気づかなかった 胸に刺さってた
いつの間に ドレミの矢に射抜かれたんだ
友達だって 油断してた
なぜだろう 今までと違う感情だった
オオオ…

ある日 偶然 もしかしたら自分は恋をしてるって知って
僕は急にどういう態度で君に接すればいいのかな

まさか 一番 ありえないと思ってた君に恋するなんて
僕がちょっと恥ずかしくなってぶっきらぼうな態度とっちゃいそう
ドレミ ドレミ ソラ

だってそんなことは想像できなくて
出会ったばかりの僕たちに戻るのか?
知らないうちにこっそり
催眠術を かけられたみたいさ
だってそんなことは想像できなくて
だから人生はきっと面白いんだ
うまくいくかどうかは わからないけど
ドレミを楽しもう
片想いは無意識さ

君と出会うまで 何かがいつも足りなかった
何となく 違うなとピンと来なかったんだ
(フィーリング)
それは理屈じゃなくて
(スキップしてる)
本能なんだ
ドレミの“ファ”

 

 この曲では、今まで友達だと思っていた相手に恋をした語り手の、今まで経験したことのない胸の内が歌われている。「まさか 一番 ありえないと思ってた君に恋するなんて」といったフレーズからは、「普通」としての異性愛が相対化されうるのではと思う。

 

 『君に話しておきたいこと』『ドレミソラシド』、どちらの曲も語り手は「君」との関係性を強調しており、そこにクィアネスを読み込めたとしても、傾向としてのセクシュアリティに敷衍しにくいところはあるかもしれない。

 また、どちらもクィア・リーディングしていく上で、明るい予感に満ちているのが良いと思った。戸惑いや不安はあるものの、恋することへの前向きさは共通している。

 

 ただ、全曲聴き返す勢いで探したけれど、クィアに読める曲は本当に数曲しかないのではと感じた。語り手の恋の相手両者の性別が限定されてないラブソングすら10数曲くらいしかないのではないか。ほとんどの曲はヘテロセクシズムが濃く、聴いててうんざりすることも多い。

 

 ラブソング以外にもクィアな曲を探してみたけど、これは!というものは見つからず。女性目線の曲で、主体性を強調し、従属性を否定した曲もいくつかあるが、「不安」や「弱さ」の裏返しであることが多く、その分厄介ですらあると思う。

 『抱きしめてやる』という曲は

ここまで 走れよ!
ah どんな辛さも 抱きしめてやる(全部まとめて)
ah 誰も貴方を 連れ戻せない(ずっと 守ろう)
ah 男も女も関係ないよ (瞼を閉じて)
私の胸で ただ眠りなさい
人は自分の弱さ 怯えて 愛を知る

ah 腕で思い切り 抱きしめてやる(飛び込んで来い)
ah もしも貴方が 嗚咽したって(変だと思わない)
ah 男だからって 我慢しないで(素直になれよ)
私が ちゃんと守ってあげるから
人は涙枯れ 強くなる 弱き者

 以上のような歌詞で、男性が感情を曝け出すことを肯定し、「強さ」を問い直すような内容で、そういう意味ではステレオタイプから逸脱していると言える。しかし、そんな男の「弱さ」を「抱きしめて」ケアする女性がセットになってるので気に入らない。

 

 

BTS『Butter』完コピダンス

 

 歌詞だけじゃなくMVにも何かあるんじゃないかと探してみたんだけど、全然ない…というところで思い出したのが、歌番組の企画で披露したBTS『Butter』の完コピダンスである。公式じゃないのでURLは貼らないけどYouTubeで探せば動画があると思います。

 このパフォーマンスでは、メンバーがBTSと同じ衣装を着て男性用に作られたダンスを披露している。『Butter』は、自分の性的魅力に自覚的な男性が語り手の歌詞となっており、パンツスーツ姿でそのような内容の歌をコピーするのはけっこうクィアなのではないだろうか。

 クィアネスだけでなく、普段の「日向坂ぽさ」とは真反対に路線を変えた格好良さをバキバキに出しているので、見たらグループのイメージは少し変わるかもしれない。

 

 

全国おひさま化計画『キュン』

 

 日向坂46が2021年に行ったツアー『全国おひさま化計画』における『キュン』のパフォーマンスにて、髙橋未来虹が男装をして森本茉莉と寸劇を繰り広げる演出があった。

 ただ、これも『キュン』の歌詞を見てもらえればわかるのだが、大変異性愛規範の強い、見る男性/見られる女性の構図をそのまま再現しているものではある。

 

 男装といえば、バラエティ番組で一部メンバーが男装をし、他のメンバーが考えたシチュエーションでの演技をする企画は何度かあった(『日向坂で会いましょう』の妄想告白シチュエーション、『KEYABINGO』など)。ただ、いずれも異性愛規範に則っており、特に後者は男装メンバーの「男らしさ」を強調するような演出だった。ただ、妄想告白シチュエーションに関しては、寸劇の脚本をメンバー本人が書いているので、細かく見ればクィアリーディング的におもしろいものはあるかもしれない。 

 

 

『Re:Mind』


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 高校の卒業式前日、同級生である11人は見覚えのない部屋で拘束された状態で目を覚ます。彼女たちがなぜここに集められたのか、どうやったら脱け出せるのかを話し合ううちに、11人の関係やそれぞれの内面、秘密が暴き出されていく。

 日向坂46がまだけやき坂46だった2017年、1期生11人(と2期生の渡邉美穂)が主演を務めたドラマ『Re:Mind』にもクィア表象がある。(Netflixで配信しているので興味ある方は是非)。

 

 (以下ネタバレあり)

 

 ではどこがクィアかというと、齊藤京子高本彩花カップルなのである。同性愛の仄めかしではなく、ハッキリ付き合ってると明言されている。

 他のいくつかのメンバーも、仲良しペアでいつも一緒だったといった設定があるなか、この2人については恋愛関係だからこその演出や脚本になっていた。ただ、そもそもドラマとして女性表象及び「女子高生」表象が優れているとは言い難く、そういう意味で面白いかと言われれば微妙である。しかし、メンバーが明言された同性愛を演じることには一定の意味があると思うし、貴重な表象であることは間違いないだろう。

 

 

けやき坂46公演「あゆみ」』

 

 日向坂メンバー総出演の演技作品としてもうひとつ思い出したのは舞台「あゆみ」。この舞台は『Re:Mind』などとは違い、「企画:秋元康」ではなく、柴幸男による戯曲の上演である。1人の女性が生まれてから死ぬまでを、配役を固定せず、主人公を含む全ての人物をメンバーが入れ替わり立ち替わり演じる。

 

(以下ネタバレあり)

 

 主人公のあみには高校時代憧れていた先輩がおり、その人に告白する寸前まで行ったものの結局思いを伝えられなかったことを悔やんでいた。その後、上京して別の人と結婚し、子供を生む。何年か経って帰省をしたとき、その先輩と偶然再会してお互いの近況を報告しあう場面で、先輩の「うちの旦那」というセリフでその人が女性だったとわかる。

 見てもらえればわかるのだけど、高校時代の場面では男女どちらとも限定できない「ニュートラル」な言葉遣いをしていたり、そもそも女性であるメンバーが男性含む全ての役を演じる仕組みのため、観客は先入観から先輩を男性だと勘違いするよう仕掛けになっている。

 また、この展開だけ抜きとると、成就しなかった同性愛ということで、ややステレオタイプ的な印象もある。だが物語の終盤において、主人公の現実と想像、現在と過去がだんだんと混じり合っていき、その中で彼女は過去に戻って先輩に告白し直すことができる。こういった展開は、起こっていることと起こっていないことを判別しにくいこの舞台の性質とも大変合っていて、とても面白い。秋元康の手を離れるだけでこんなにいい作品と関われるのだなと感じる。

 

UNI'S ON AIR(ユニゾンエアー)

 

UNI'S ON AIR(ユニゾンエアー )|櫻坂46・日向坂46 応援 [公式] 音楽アプリ

 

 日向坂46にはUNI'S ON AIRニゾンエアーという公式音ゲーアプリがあるのだが、その中に音ゲーとは別でドラマという機能がある。言ってみればゲームのシナリオみたいなもので、メンバーの写真とボイスだけで展開するちょっとしたお話なのだが、これがいろんな種類があり、中には面白いものがあったりする。

 小説家志望ながら何を書くべきか分からず、ぼんやりと就活をする宮田愛萌のもとに謎の少女である小坂菜緒が転がり込んできて…という『ピクニック』は、2人の少女の微妙な距離感と関係性が描かれている。読書好きで「文学少女」である宮田愛萌と、グループのなかでは年少で気まぐれな性格の小坂菜緒のパーソナリティがそのまま使われた設定はハッキリ言ってかなり二次創作的で、これ自体がシナリオライターによるクィアリーディングの結果という気もする。2人のコンビは「まなお」と呼ばれてファンの間でも認知されているし。

 他にも、高校生の渡邉美穂が住むマンションの隣の部屋に引っ越してきた姉妹の妹(小坂菜緒)がどうやら吸血鬼で…という内容の『皆既食』などもある。これは渡邉美穂/小坂菜緒というよりは、歳を取らない吸血鬼である小坂菜緒と、彼女を世話する吸血鬼ではない姉の潮紗理菜との関係性の方が面白かったりする。

 

 

HINAKOI FILMS

 

 UNI'S ON AIRの他にも日向坂46の公式ゲームでは「ひなこい」という恋愛ゲームがあるが、正直僕自身はやる気が起きなくてほとんど触ったことがないので、クィアな要素があるのかわからない。

 ただ、そんなひなこいはHINAKOI FILMSと題してメンバー出演の短編恋愛ムービーを製作しており、YouTubeに第1弾から第3弾まで上がっている。これも基本的には異性愛が大前提ではある。しかし、つい最近公開されたばかりの第3弾「恋と友情の真剣勝負編」では、同じ人を好きになった親友同士の恋模様が描かれながら、(ネタバレします)恋愛と友情を二者択一的なものとみなす規範的な決着をいかにして回避するかを模索する終わり方になっている。さすがに恋愛を放棄するというところまでは行かないものの、「私たちの友情を恋愛の犠牲にはしない」と宣言し、どうにかして方法を見つけ出そうとする明るいラストは印象的だし、そのような2人を見てまた別の友達が「そこのバカップル」と呼ぶあたりから、親友同士のクィアとも言えそうな関係を意識的に描いているのでは…と思った。

 

 


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その他

 

 いわゆる「表象」ではないと思うが、日向坂46とクィアという点では、メンバーの宮田愛萌が書いたこのブログにも言及したい。

 

宮田 愛萌公式ブログ | 日向坂46公式サイト

 

  このブログの中では、『ノンバイナリーがわかる本 heでもsheでもないtheyたちのこと』を読んだこととその内容に触れながら、宮田はこう書いている。

 

メッセージでこの本を読んでいることを話すと、現役のアイドルの口からこれらのことが語られるというのは珍しいとか、攻めている、とか言われます。
たしかにあんまり語られないなと私も思うんですけど、
でも私が伝えることでもしかしたら今よりも少し多くの人が過ごしやすい環境を作ることができるかもしれないと思ったら、
私は伝えずにはいられないのです。


もしかしたら今この時に悩んでいる若者がいるかもしれない。
そんな時、メディアに露出する私たちが
「大丈夫だよ。味方だよ」
と伝えてあげることが、なにかの助けになるかもしれないと思うのです。

 

そしてもうひとつ。
これを読んでくださっている方が、1人でも多く、LGBTQ🏳️‍🌈について考えてくれたらいいなと思います。
それに、知らなかったことを知るのって、面白いです。世界が広がります!!

 

例えば今日から彼氏/彼女ではなく恋人/パートナーという単語を使ってみる、みたいな小さなことでもちょっとだけ世界は変わって見えるかもしれません。
少なくとも、そう言い始めた時、私の世界は変わりました。

 

日向坂ってハッピーオーラをモットーにしてるんですよ。みんなで幸せになろうねって、幸せを分けあおうねって、言ってるんです。

おひさまの皆さんも、幸せを共有しませんか?

 

 性的マイノリティについて知ること、そうやって世界を変えていくことを日向坂46のモットーである「ハッピーオーラ」に接続するこの文章は、アイドルと性的マイノリティ、日向坂46とクィアをめぐる発言として大変意義深いのではないかと思う。このような言葉がアイドルの口から発せられることにとてもエンパワーされる。

 

 

まとめ

 

 ここまで日向坂46におけるクィア表象を見てきた。かなりざっくばらんで筋の通ってない並べ方ではあったが、一応さまざまなジャンルにおける表象を挙げることができたのではないかと思う。

 ただやはり曲にしてもパフォーマンスにしても、クィアな読み方に開かれているものはごくわずかであるという印象は残ったままである。しかし、ここで「坂道にそういうのを求めても仕方ない」と諦めるのではなく、1人のファン、消費者、観客、読み手としてしつこく批評や要求をしていくつもりである。

 冒頭にも書いたが、もしおかしな読み方をしていたり、読みが足りない部分があればどんな形であれ教えてもらえればすごく有難いし嬉しいです。ここまで書いてきたものが全てだとかいう感覚は全くなく、自分はこういうのがあると思うけど、みんなはどう?って気持ちなので、多くの人とこういう話ができたら本望です。