クィアネス、セルフケア、万葉集~宮田愛萌『きらきらし』感想

 

 宮田愛萌の初小説集『きらきらし』を読んだ。日向坂46を先日卒業した彼女が初めて出す小説集で、大学時代に研究していた万葉集の和歌から着想を得た短編が5本収録されている。そのほか、奈良で撮影した写真や、日向坂の同期である2期生を詠んだ和歌リーフレットなどもついている。全編クィアネスと物語への信頼に満ちていて、とてもおもしろかった。以下短編ごとの感想。

 

『ハピネス』

 喉から手が出るほど欲しいものに近づけば近づくほど手が届かない存在になっていくというジレンマ。希南が佳恋に見出す美しさや触れることのできない遠さが、彼女からむかし教えてもらったスノームーンの姿にビタッと焼き付けられている。人間関係における恥ずかしさや恐怖心をクィアネスと接続している。

 

『坂道の約束』

 時間を経て変わるものと変わらないもののささやかな交流。話のオチみたいなものはわりとすぐわかるけど、そのへんの「心のどこかではわかっていた」感も含めて噛みしめるような内容だと思う。図書館や坂道という場所の設定も、宮田愛萌のパーソナリティを知っていると楽しい。

 

『紅梅色』

 男女間の友情をセルフケアとしてのネイルを通じて描く。自分で自分を好きでいるための方法を共有することで他者と通じ合えるという感覚はとても現代的だと思うし、それが男性にとってのネイルというクィアな表現であることもとても良い。和歌の現代語訳からも、規範的な美の在り方でないオルタナティブな美を提示するような内容で、小説とガッチリあっていて納得。

 

『好きになること』

 これもクィアネス及び他者とのコミュニケーションについての話。異性愛になじめないから同性愛者かと思えばそもそも恋愛がわからんかったというセクシュアリティの揺らぎ、その「揺らぎ」に他者を巻き込んで傷つけてしまうことのやるせなさが描かれている。自分でも理解できない自分の性質で他者を傷つけてしまうことは往々にしてあることで、うんざりもしてしまうけど、それでも見放さずにいてくれる誰かの存在がとても優しい。「自分を愛せないから他人も愛せない」的な出発点から「自分を好きになろう」の方向にバリバリ進むのではなく、「自分のことを好きになれなくて仕方ないかもなあ」くらいの微熱が保たれているのがすごく良い。

 

『つなぐ』

 シンパシーとともにエンパシーに重きが置かれていて、とても物語のことを信頼している話。他人の靴を履いてみることで、さっきまでとは違って自分自身が少し拡張されたような感覚になる。全部は理解できないけど他人の人生を生きることでわかることもあるし、見えてくることもある。繰り返しになるが、今はこの世にいない人の残した物語をとても信頼しているからこその小説だと思う。