『LOVE LIFE』感想(ネタバレあり)

 

 深田晃司監督の新作『LOVE LIFE』を観てきた。愛と人生をめぐる不穏でスリリングな物語。さまざまな形のコミュニーケーションの不全を通して人間の原理的な孤独を確かめながら、それでもまだ誰かと繋がることをあきらめきれない話。以下ネタバレあり感想を箇条書きで。

 

・妙子と二郎、パク・シンジによる恋愛の三角関係(私的な領域)の話に、家や仕事に困った人と役所の福祉課や支援センターで働く人としての関係(公的な領域)が絡んでくるのとても複雑で見応えがある。

・それぞれの関係は線引きできないほどもつれているのに、そこを無理矢理線引きしようとする妙子と、線引きを諦め、すべて公的なものとみなすことで対処しようとする二郎の対比も良い。

・そのようなケアをめぐる公私の境界線を撹乱するパク・シンジ。彼は常に何らかの関係性や境界線を撹乱する存在で、彼を介して誰かと誰かの立場が入れ替わってしまうこともある。彼はろう者で韓国にルーツがあるので二重のマイノリティ(インターセクショナリティ)であるが、マジカルな存在にはなっていないと思う。中盤、妙子が浴槽に入るのを見守ったり、彼女に「啓太を忘れてはいけない」と言い残して去っていたら、主人公を救うだけのマジカルなマイノリティだったかもしれないが、その後の韓国のシーンで彼の「居場所」のようなものを提示することでパク・シンジと妙子の立場を反転させ、マイノリティ性やコミュニケーションの不全をひっくり返すことでそのあたりを相対化していた。

 

・孤独な他人をケアすることで自らの孤独も紛らすことができると思ってたら、その相手は自分が思っていたような「孤独」ではなかった…みたいなのがとことんシビアで、その人がいいこと言ってて心を許した直後だっただけにきつかった

 

・人間が生きていく上での「生活」「暮らし」みたいなものが丁寧に描かれていて、そういう視点から描かれる「人生」は大きな説得力を持つ。敬太の事故によって大沢夫婦は「風呂に入る」という当たり前だったはずの日常が侵襲されるんだけど、そのあたりの描写から「平穏な生活」といったものがいかに繊細なバランスの上に成り立ってるかわかる。これらがあるからこそ、ラストシーンで2人が「お昼食べた?」「まだ。お腹空いてない」「散歩でもする?」と「日常」を遂行せんと会話するシーンが沁みてくる。

 

・中盤にベランダで行われる「信仰」をめぐる会話はみんなの言う通り白眉で、それを踏まえるとベランダに吊るされたCDを「おまじないみたいなものだけど、少しは効果があると思う」と話す妙子にとってあれは一種の「信仰」なのかもしれないと思う。CDに反射した光が部屋の中で瞬くのは、ある種の「神の偏在」みたいなことを思った。テレンス・マリック的な。

・猫というモチーフも同じような感じで、コントロールすることができない人間を超えた何かの象徴というか。猫からはイ・チャンドン『バーニング』を連想したり。

・この映画は矢野顕子の同名の曲から着想を得て、テーマソングになっているわけだけど、CDというモノを映像として登場させることでそのへんのつながりも示されていたように思う。

・風呂、雨、シャワー、湖のような、溜まった/流れる水のモチーフの使い方もいいなと思った。