『オッペンハイマー』感想

 クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』を観た。率直な感想として、思っていたより素直におもしろい映画だと思ったし、長さを感じなかった。じゃあ題材に対して「素直におもしろい」でいいのかと言われれば、この映画のスタンス、視点の置き方としては一貫しているしこれがベストなのかもしれないと思うが、そもそものスタンス自体がズレているという批判にもうなずける。以下詳しい感想。

 自分の行為、創造物が周囲の人間によって好き勝手に解釈され、扱われる世界で、自分が自分でなくなっていく感覚を描いていると思った。原爆を生み出し、使用された結果に罪悪感を抱いて懊悩するも、周りは英雄として評価してくる。若かりし頃に興味本位から関係を持っていただけなのに、戦後になって共産主義のスパイ呼ばわりされる。それは悲劇でもあるし、彼がナイーブすぎるだけでもある。彼の内側/頭の中にある宇宙(何度もイメージとして映像が挿入される)とは無縁の政治が、悲劇の主人公としての彼の自意識を引き裂いていく。
 最後にオッペンハイマーフェルミ賞を授けられるのは、受賞によって彼の存在に「区切り」をつけ、ひとりの人間から「歴史」へと移行させるための儀式なんだろう。それはオッペンハイマー自身がアインシュタインにしたことでもある。こういったような、自分が生み出したものが自分の物じゃなくなり、意図とは無縁に扱われる、なのに創造行為をやめられない業、みたいなところに映画監督としてのノーランを重ねてしまう。
 ジーン・タトニックの死でも、そんなの全く関係ないもしれないのに、自分がその原因なのではないかとオッペンハイマーは動揺する。オッペンハイマーの想像としてジーンの死が描かれるシーンでは、自殺と他殺両方の説があるからそれぞれのシーンが入っているらしいが、想像するオッペンハイマーにとっては頭を抑える手は自分の手なのだろう。このへんのジーン周りの描写について、オッペンハイマーの主観を通して彼のロマンティックかつナイーブな性質を描いているっていう意味では一貫しているとも言えるし、映画としてジーンというキャラを「主人公男性を翻弄しつつ最後には死ぬ謎多き女」の陳腐な役回りにしているとも言える。