【2/26】日向坂46ダイアリー#38

 昨日の『日向坂で会いましょう』を見て感じたことをつらつらと書いてみる。とくに大作の記事というのでもなく、ツイートの延長くらいの感じで。

 まず、11thシングルで選抜制が導入されることに関しては、正直なところあまり驚かなかったし、ショックも少なかった。多くの人が言っているように、いずれ来るんだろなと思っていたから。だけど、自分が選抜制の導入を既定路線として受け入れていた(諦めていた)ことにふと違和感を持った。別にこのまま「全員選抜」として28人で表題曲をパフォーマンスすることだって可能じゃないのかと。もちろん、テレビ番組の出演などに関していろいろなハードルがあることもわかるが、テレビ側、「運営側」の都合を消費者でもあるファンが自明のこととして受け入れるべきだという風潮には納得したくない。我々は「歌番組で全員の姿を見たい」と主張する権利があると思う。選抜制にも様々な利点があることを理解した上で「利点を両取りできる方法を考えろ」と求めることができると思う。金儲けや企業の都合を無視して、ファンが喜ぶグループ活動を見せろと。

 そもそも、「グループが強くなるためには選抜制の導入と、それに伴う競争が必要」みたいな考え方もよく分からない。以前に森本茉莉がブログで「競争心はなくても向上心はあります」(2022.9.21)と書いていたのだが、まさにその通りだと思う。選抜制を導入しなくても個人のスキルは高められると思うし、メンバーはそのような気持ちを抱くだろう。なにかにつけ競争抜きで人は成長できないと考えるのは、とてもマッチョ的で有害な考えだとすら思う。

 選抜制が導入されることは決定なので、それによって応援をやめたりするつもりは特にない。ただ、ファンが「運営」の考えや都合を忖度して何かを受け入れたり諦めたりする風潮には反対だし、そんなことないと言い続けたい。

 また、選抜制導入に反対する意見として、「全員選抜が日向坂のアイデンティティだったのに、失われてしまう」といった内容もチラホラ見るが、これはこれでイマイチ腑に落ちない。僕は、アイデンティティというものは人間の生活やグループの活動といったプロセスからパフォーマティブに作られていくんじゃないかと思っているので、「全員選抜」といったカッコつきのアイデンティティが先にあるような考え方はあまり納得できない。日向坂が選抜制を導入するならそれはそれでグループのアイデンティティのひとつとして刻まれるものだと思うで、選抜制導入をもってして「アイデンティティと違う」と言うのは本末転倒というか。

 あと、フォーメーション発表後のインタビューで小坂菜緒が2023年を「あまりうまくいかなかった一年」と言っていたのが印象的だった。そんなにハッキリ言う?と思って。そもそも去年が日向坂としてうまくいかなかったみたいな風潮ってどこから来たのだろう。2022年がグループにとっての節目で、大きくて印象的なイベントがあったからその反動か。確かにリリースペースの遅さやケヤフェスの中止、とどめとして紅白に出演しなかったことでもろもろ「うーん」という雰囲気は醸成されていたか。個人的にはやっぱりリリースした曲の印象があまりにも薄かったと思う。端的に言えばヒット曲を作れなかった。逆に言うと、ヒット曲さえあればいくらでも巻き返せるんだろう。2024年の日向坂46に、めちゃくちゃ期待しています。