『マリグナント 狂暴な悪夢』感想(ネタバレあり)

 ジェームズ・ワン監督『マリグナント 狂暴な悪夢』

 自らの身に起きた事件をきっかけに残酷な殺人事件に「巻き込まれる」こととなる主人公マディ。警察の協力を得て調べていくうちに、彼女の過去と出生の秘密が明らかになっていく。

 全体的にジェームズ・ワンが自分の好きなホラー映画を持てる引き出しをすべて使って全力でやり通したという勢いのある作品で、ゴア描写は多いしアクションや恐怖演出も力が入っていてとても楽しめた。終盤、逆向きの人間が縦横無尽に暴れまわるシークエンスは気味の悪さと妙なカタルシスが同居していて、ものすごく新鮮で面白い体験だった。

 

(以下がっつりネタバレ)

 

 血でつながった兄と決別して、血でつながってはいない妹と絆を結ぶという映画を通してのテーマはよくわかる。シドニーが生まれるのを必死に邪魔していたガブリエルと、シドニーを遠ざけていた夫が重なるあたりも、暴力的な男性性の支配から抜け出してシスターフッドに希望を見出すというフェミニズム的テーマを読み解くことができる。

 ただ、そこにマディの「流産」やセリーナの妊娠など、女性のリプロダクティブヘルスライツの問題も絡んでいて、そのへんの手際は正直危なっかしい。男性(ガブリエル)による女性たち(マディとその子供やシドニー)の分断というモチーフは大変よくわかるが、それを「流産」という形で表すのには違和感がある。家父長制と女性の身体を支配/被支配の構図で接続するのにしてもいささか単純すぎるというか。

 それから、セリーナがレイプによって妊娠した子供が「奇形児」なのはちょっとどうなのかと思うし、その「奇形児」をはっきりと「悪魔」と言い切るのもなかなか危ういと思う。また、最後の最後にセリーナがガブリエルに愛や赦しについて話すのも、そんなことしなくていい気はした。

 ただあのシーンではあくまでガブリエルが「実の母親」の愛に執着している一方、マディとセリーナの間にはそのような確執が不在のまま映画は終わる。ここでも血縁を重視しない女性同士の関係性と、血縁に執着する男性の対比になっている(そういえばマディの夫も彼女の「流産」についてネチネチと言っていたのであった)。