超人間的存在による人間讃歌~『エターナルズ』感想(ネタバレあり)

 MCU最新作『エターナルズ』を観てきた。アカデミー監督賞を獲ったクロエ・ジャオが監督をつとめており、数千年前から人類を守ってきたエターナルズの新たな戦いを描く。

 全体としてトーンやビジュアルなど今までのMCUとは少し違った雰囲気があり、それだけでなくテーマの面でも過去作『ザ・ライダー』と『ノマドランド』と共通する部分が多いとてもクロエ・ジャオらしい作品に仕上がっていると思った。

 

 クロエ・ジャオが過去2作で描いていたのは、常識や規範になじめなかったり疑問を持った人たちが、枠組みからはじき出された/自ら離脱したすえに経験する魂の彷徨とそれ自体の力強さみたいなものだと思うんだけど、その部分が『エターナルズ』でもしっかり出ていたと思う。

 エターナルズの一員であるセルシは、自分たちを派遣したセレスティアルズであるアリシェムとリーダーであるエイジャックの言葉を信じてきたが、それが実は偽りであり、彼女はその裏に隠されていた本当の目的を知る。このようにして、セルシは自分が「当たり前」だと考えていたことが他者によって作られていたわかる。自らの成り立ちと記憶が揺さぶられ、それらを疑うことのなかった過去への葛藤を抱えながら彼女は行動していくのである。このような「本当の自分」あるいは「居場所」をめぐる内面の動きは、エターナルズの他のメンバーにも共通するものだし、『ザ・ライダー』のブレイディや『ノマドランド』のファーンだってそうである。

 そして、最終的にセルシはその「当たり前」と対決することを選ぶ。その選択には彼女が地球での生活において獲得した個人的な経験や信念が深くかかわっており、エイジャックがセルシを次のリーダーに指名したのも、彼女が他者から押し付けられた「当たり前」ではなく、自らの心の内に従った行動をするとわかっていたからだろう。

 選択するのはセルシだけではない。イカリスもティアマットの誕生を選択する(そして最後にはセルシに力を貸す)し、キンゴはそもそも最後の戦いに参加しないことを選ぶ。もちろん個人の「選択」にはその人の主体だけでなくいろいろな力が働いているものだし、その結果として得られる変化を個人に背負わせる危険性も確かにある。けれど、エターナルズそれぞれの選択をあくまで尊重する映画の姿勢は、彼女/彼らの力強い生きざまを浮かび上がらせる。

 『エターナルズ』は超人間的な存在が主役の映画だが、つくられた「当たり前」を打破せんとする姿を勇気あるものとして描く人間讃歌なのではないだろうか。