『NOPE/ノープ』感想(ネタバレあり)
ジョーダン・ピール監督『NOPE/ノープ』を観てきた。カリフォルニアの牧場を舞台にしたSFスリラーに、ハリウッドと黒人をめぐる歴史の寓意を注入したような作品でとてもおもしろかった。以下ネタバレありで感想をつらつらと。
エドワード・マイブリッジによる有名な連続写真の中で馬に乗っているのが黒人だということを知っていたか?という話をスタートにして、映画における黒人の不可視化の歴史や、見られる客体としての黒人/見る主体としての白人、見世物としての動物の在り方などといったテーマはとてもジョーダン・ピールらしいと思うし、そこらへんを全部ひっくるめたうえでSFスペクタクルで押し切るところは逆に前2作と少し方向性が変わっているような気もした。
上述したように「視線」が話のキーなわけだけど、単に「白人を被写体にして主人公の兄妹がカメラを構えることによって見る/見られるの関係性を反転させる」とかではないのがおもしろかった。「撮影者の白人とカメラの前の黒人」という構図は維持しつつ、撮影監督のホルストは見ること(撮ること)に憑りつかれて身を滅ぼし、眼差しの暴力を熟知しているOJとエムが生き延びることになる展開は現代的と言える気もした。「見ること」のtoxicな側面(のめり込みすぎると自分で自分を傷つけてしまいかねない)までもを射程に入れているというか。
見る/見られる関係は人種間、人間と非人間の間だけでなく、同じ黒人のなかでも起こりうる(インターセクショナリティ的な)と描いているのも良かった。父親から見過ごされていたエムと彼女を真っすぐに見据えるOJ、その後の2人の行動から、見る/見られるの関係がネガティブな力だけではなく、ある種の承認としてのポジティブな力を持ちうることがわかる。このような描写で、テーマとしての「視線」がエンタメとしての熱さや盛り上がりにも貢献しているのもすごく良い。
ジュープ(スティーブン・ユァン)とゴーディまわりのエピソードはきれいに本筋に絡んでいるわけではないかもしれないけど、話自体はとても面白かった。
自分は、ジュープにとってのシットコムの出来事は宗教的体験だったのだと思う。目の前で繰り広げられる圧倒的な暴力と、そこからの救済、あるいはその可能性。要するに、彼は触れられなかったゴーディの拳にもう一度触れるためにあの儀式を行なっていたのかもしれないのかなと。それが無惨な結果に終わるのは宗教や信仰に対する風刺なのかもしれないし、異なる生き物同士の理解できなさの表現なのかも?
ただ、ジュープに関するその他のやたら豊かなディテールがどのような意味を持っているのかはまだわからない。彼がスペイン語を話して西部劇モチーフのテーマパークを開いているのはなぜなのか、妻との関係性に妙な含みがあるように見えるのはなぜなのか、どうしてゴーディの被害者たるメアリーはあそこにいるのか。また、こういった諸々がアジア人によって表象されることに関しての意味合いも、ちょっとまだ判断がつかない。