感情の爆発と連鎖~櫻坂46『Cool』

                       

 櫻坂46の5thシングル『桜月』に収録される共通カップリング曲『Cool』のMVが公開された。


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 表題曲でセンターに選ばれた守屋麗奈と同様、坂道研修生を経てグループに加入した2期生大園玲が『Cool』でセンターを務めている。自分はこの曲、というかMVがとても気に入った。『Cool』のMVでは、退屈な日常を過ごす大園玲の内面にある欲求や願望の発露が、状況を同じくする人たちのシンパシーを呼び、周囲の人を巻き込みながら自信と力を獲得していくようすが描かれていると思う。

 なので、なぜそう思ったのか、どう解釈したのかを詳しく書いていく。

 

 MVの舞台となるのは閉店後と思しき薄暗いダイナー。オープニング、大園玲をはじめとするメンバーはウェイトレスの制服を着て無表情に仕事をこなしている。客の残した食器を下げ、皿を洗い、床を磨く。ボックス席に座る大園が何度くじを引いても、書いてあるのは「平凡な1日」「今日も、昨日と変わらない1日」。そして、曲が始まると宇宙服に身を包んだもう1人の大園が現れる。彼女は無表情に並ぶメンバーたちの前を通りながらボックス席に座り、ウェイトレスの大園はそれをみてニコリと笑う。

 ここまでが曲の1番。まず印象的なのが、ダイナーに流れる空気の陰鬱さ、退屈そうでダルそうなようすのメンバーたちである。ここまでがメンバーたちにとっての「昨日と変わらない1日」を表しているとすれば、そこに現れる宇宙服姿の大園は、彼女自身にとってある種の願望、憧れのようなものなのだろう。

 

 2番に入ると、店に置いてあるテレビでカートゥーンが流れはじめ、大園以外のメンバーは興味深そうに画面を覗き込む。カートゥーンには宇宙飛行士が登場し、その背中から人ではない不思議な生き物たちがどんどん出てきて、最後には蝶が何匹も舞い出てくる。そしてシーンがカートゥーンから実写のダイナーに変わるのだが、さっきまでカートゥーンの中にいた蝶が舞っている。蝶を見た大園は席から飛び上り、机にぶつからんばかりの勢いで感情をあらわにしながらメンバーとともに激しく踊り出す。最後に客席でメンバーが勢ぞろいする。

 カートゥーンを見つめる大園以外のメンバーのショットは、大園自身の願望としての「宇宙飛行士」がカートゥーンになったことで、大園以外にも理解できるようになったということだろう。そして蝶がダイナーに現れる(現実に侵食してくる)と、大園玲が弾けるように踊りだし、メンバーたちも激しく踊り出す。蝶=カートゥーン内で描かれた宇宙飛行士(大園玲の分身)の内面だとするならば、全員が一斉に激しく踊りだすのではなく、大園が移動しながらその場その場にいるメンバーと踊る演出には大きな意味がある。大園玲のエモーション(=蝶の舞)が他者の感情を喚起しているということだから。感情は独立した動きとして表出するのではなく、人を媒介にしながら連鎖していくものなのだ。店内の照明もメンバーの感情に呼応するように明滅している。また、これらシークエンスでは、ダイナーの秩序を乱すような動きやポジショニングが意識的に行われている。たとえば、1番の最後で静かに客席についていたメンバーたちは、2番の最後ではテーブルの上に立っていたり、床に寝転んでいる。

 

 3番。メンバーの服装がおそろいのウェイトレスの制服から、それぞれの個性が出たスタイリング衣装になっている。整然としていた店内には緑が生い茂っている。ラスサビになると、メンバー全員が自信に満ち溢れた表情で踊り歌うシーン、同じセットながらウェイトレスの制服を着たままの大園が1人で悔しそうな表情をしながら歌うシーン、それらを画面越しに眺めながら楽しそうなようすのカートゥーンのキャラたちがカットバックされていく。

 自らの内面を解放したかのような色とりどりの衣装とセットの中で不敵に笑いながらメンバーたちがバチバチに踊るシーンはめちゃくちゃにカッコいい。そこにウェイトレス姿の大園がカットバックされることで、想像だけではない、現実での葛藤や戦いも垣間見える。2番における感情の爆発を経て、メンバーたちは自分のなりたい自分(「ああ
だから カッコつけさせてよ」)に変身し、自己を十全に表現するのだ。

 

 曲が終わると、満足気にくじを見る大園(文字は見えない、ウェイトレスの制服のまま)と、緑の生い茂った店内にいるアニメキャラクターたちのカットで終わる。

 ラスサビの光景はあくまで想像のなかでの出来事なのかもしれない。それでも想像が現実の自分を満たし、何かを変えることもある。そして、想像の中のキャラクターたちは生き続ける。

 

 ここまで曲全体を見てきたが、退屈な日常とまずとてもスタイリッシュで、そこからの感情の爆発がダンスと表情だけでなく、衣装とセットの変化という形で表れているのがとてもおもしろかった。さらに、大園玲のちょっと内向的で知的なところと、その裏にある無邪気でイタズラっぽい雰囲気がどちらも大変活かされていると思う。実写とカートゥーン入れ子になる複雑な構造は、彼女のこういった性質があってこそ説得力を保てているのだと思う。髪の毛を使った振り付けもすごく良い。両手でそれぞれ髪の毛を掴んでツインテールのような形にすることで、現実と虚構二項対立を表現していたりするのだろうか。

 また、歌詞に関して、男性の言い訳がましい自己憐憫が詰まった内容はお世辞にも良く出来ているとは言い難いが、「感情剥き出しのまま生きてきた」「ああ
だから カッコつけさせてよ」「まだ抵抗し続ける」など、ところどころ歌詞とMVの展開、振付がリンクしている箇所はあり、そこはとても良かった。いつまでも秋元康の歌詞のクォリティの低さに目をつぶって我慢しているのは耐え難いので、いい加減にしてほしいのだが。